イベントレポート
新型コロナウイルス、戦争、テクノロジーの進化による急激な変化は、様々な社会課題を表出させました。人々の価値観は変化し、価値の見直しが起こりつつあります。
大学の教育に関しても、コロナ禍による機会損失という負の面だけでなく、オンライン授業やEdTechの導入が一気に進むこととなりました。企業においても多様な働き方とともに、スキルアップのためのリカレント教育への期待も高まっています。継続的なキャリア教育のため、スキルの認定にデジタル証明書の導入も進んでいます。
さらに多様化する学びと質保証を見据えた教育DXの在り方について、皆様と考えます。
- 開催日時
- 2022年8月5日(金)14:30~17:30
- 開催方法
- 会場 Innovation Space DEJIMA(東京都・五反田)
オンライン(Zoom Webinar) - 主 催
- CAUA
講演内容
オープニング
深澤 良彰 氏(早稲田大学 理工学術院 教授、CAUA会長)
【基調講演】
「大学教育のデジタルトランスフォーメーションと質保証」
井上 雅裕 氏(慶應義塾大学大学院 特任教授、芝浦工業大学 名誉教授、公益社団法人 日本工学教育協会 理事)
コロナ禍をきっかけに、社会と大学のデジタルトランスフォーメーションが大きく加速しています。オンラインは、深い人間関係をつくりにくいなどの短所がある一方で、時間と空間の制約を受けないため、海外の大学の特徴ある授業の受講や、オンラインでの国際協働学習も行われています。また、産業構造の変化や技術革新の進展により、大学で身に付けた知識だけでは社会で通用しません。異なる分野の知識・スキルを得るリスキリングやアップスキリングが必要になります。そして、それをどう大学教育で質保証していくのかも重要です。
対面とオンラインを複合する方法として注目されているのがブレンド型学習です。知識に関してはオンデマンドで自分のペースで学び、対面でディスカッションして知識を活用することで、学習の価値、学修の成果を向上させます。このようなオンデマンドと対面を組み合わせた反転授業、バーチャルリアリティを使った実験とリアルな実験の組み合わせ、オンライン留学など、ブレンド型教育をどう設計するのか。コンテンツをどう共有するのか。授業をどうファシリテーションしていくのか。こうしたことが、今後の教員の新たなスキルとして必要になってきます。
ブレンド型教育の質保証については欧州工学教育協会を中心に科目レベル、プログラムレベル、機関レベルにおける成熟度モデルが提示されました。これから重要になるのが機関レベルの質保証です。高等教育機関としてブレンド型教育を継続的に支援する方針を持つことが求められます。
コロナ禍において、異なる分野の学生、違った文化・国籍の学生が集まって問題解決、価値創出を行うグローバルPBL(国際プロジェクト型学習)も大きく変わりました。共同設計やシミュレーションが可能なハードウェア・ソフトウェア開発環境をクラウド上に構築し、コアタイムを設けてその時間は一緒に学び、それ以外の時間はSNSを使ったり地域ごとに集まったりして進めるという工夫をしました。メタバースを使った取り組みも行って、学生が個別に連携できる仕組みを作ったことも効果的でした。異文化体験しながら現地で現物を見てモノづくりに取り組む、海外の友人をつくるという意味では、対面が必須です。これを基本にした上で、オンラインの国際協働学習というものが価値を持ってきます。これからのグローバルPBLは、対面の協働学習、オンラインの国際協働学習、オンデマンド授業のブレンド型になるでしょう。
技術革新が急速に進み、人生100年時代を迎える中で、学び直し、継続的な能力開発、リスキリング、アップスキリングが求められます。これに対し、修士などの学位課程よりも短期間で特定の領域を学び、その学修履歴を証明する手段として世界で注目されているのが、マイクロクレデンシャルという仕組みです。短期間の学習経験で得た学修成果の証明であり、学修成果、評価方法、授与機関、資格枠組のレベルが文書で示されます。マイクロクレデンシャルの証明はデジタル証明で行い、デジタルバッジ、オープンバッジを使うことが前提となります。
これらの大学教育モデルのデジタルフォーメーションは、10年、20年先を見据えた大学経営に大きく影響します。全て自前でやるのではなく、どのように大学間、産学間で連携するのか。ビジネスモデルをしっかり構築して、大学が新しいリカレント教育の市場に入っていくことも重要な視点です。
バッジとは、地位・所属・スキル・能力など人の特性を表すシンボルのことです。これをデジタルにしたものがデジタルバッジです。コンピューターゲームでのユーザーのステータスを表すシンボル、FacebookのトップファンバッジやTwitterの認証バッジ、Stackoverflowの質問バッジなどは全てデジタルバッジです。
オープンバッジはデジタルバッジの一種で、画像に学習活動の情報を記録する仕様を作って、デジタル証明書としての機能を埋め込んだものです。取得者の情報が保存されているサーバーのURLがバッジに埋め込んであり、それを開くとリポジトリに入っている学習活動の情報や発行者の情報が参照できます。リポジトリは学習者本人でなく管理者が保有しており、勝手にデータは変更できないので客観的に証明できるという仕組みです。
2000年代前半に新しい資格証明書の必要性が議論されるようになり、登場したのがオープンバッジです。学校で見逃されたり無視されたりしがちなスキルを証明するもの、参加型で創造的で好奇心主導の学びの証明書を作らなければならないというコンセプトで開発されました。Web上で学びを表示(ディスプレイ)することで共有し、個人の学習経路(バッジパスウェイ)を作ります。また、裏書機能(エンドースメント)を実装し、従来は権威ある機関が行った学びの証明をコミュニティで裏書することで信頼性を持つバッジを目指しています。
オープンバッジは非集中型の学びを後押しします。集中型の既存の学校の学びは、管理しやすく主体性は必ずしも必要ありません。一方で非集中型の学びは、管理がしにくく主体性を必要とします。学校では間違ったことはまず教えていませんが、コミュニティごとに学びだせば不正確な内容や誤った内容が伝わる可能性があります。この点でオープンバッジは、裏書などを使って社会資本としてのコミュニティで解決します。
非集中型の学びでは一人ひとりがそれぞれの力を発揮して、自分が参加しているコミュニティに貢献することがモチベーションになってくると考えられます。学びがいのある学びの実現が期待されます。
大阪教育大学では、教員に対するオンライン研修プログラムによる実証実験を2022年8月1日に開始しました。マイクロコンテンツを組み合わせて知識バッジと能力バッジの階層を作り、特定数の知識バッジを集めることで能力バッジを獲得できます。教員が取得したバッジを大阪市教育委員会に提出すると、それが教員育成指標にマッピングされて正規の研修プログラムとして認められます。さらに、学校、上司、子どもたち、保護者がバッジに裏書をします。こういったコミュニティを作ることで、単に教員の能力を高めるのではなく、全ての子どもたちを成長させることができる専門職としての誇りを育成するという、教師のウェルビーングを高めるオンライン研修の仕組みを実装していこうとしています。
「誰もが、ほとんどのことを学校の外で学んできた」というのはイヴァン・イリッチの言葉です。学校の学びだけではなく、生活の全てが学びになる。これが今後の教育の未来になっていくと考えています。
【講演】
「パーソナライゼーションで実現する能動的な学びを促す仕掛け」
石田 秀樹 氏(日本アイ・ビー・エム株式会社 IBMコンサルティング事業本部 ビジネス・トランスフォーメーション・サービス事業部 パートナー)
今後の非連続な変化に有機的に対応していく上で個人が身に付けるべき能力は、学び続ける力です。どうすれば自発的・能動的に学び続け、その能動的な学びを自分の成長、キャリアの中に実装できるのか。最大の問題は、企業がこれからの変化に打ち勝っていくために必要な人材要件を定義していないことです。従業員がこれまで培ってきた知識や仕事を通じて勝ち取った経験値をアップデートしていく取り組みを、一人ひとりのキャリアを促進すると同時に企業・組織のパフォーマンス向上につなげることが重要です。
企業は、求められるスキル・専門性を明確にし、従業員一人ひとりに自分のキャリアを「自分ごと」にしてもらわなければなりません。日本でもジョブ型への移行という大きなトレンドが大企業を中心に生まれていますが、制度だけ改定しても思い通りにいっていないのが実情です。実際に自分がどんな経験を持ち、どんなことができて、さらに今求められていることに対して何を学べば充足できるのか、ということを自分ごとにするには、意識変容が必要です。企業には、これまでの画一的な人材マネジメントを刷新し、その必要性に従業員自ら内省的に気づく機会を作ることが求められます。
ジョブ型に移行すると表明した多くの企業は、おそらくは会社目線で、ジョブ型人事制度(グレーディングシステム)に移行し、職務内容(ポジションプロファイル)を作り、その中に人材要件(スキル・専門性)を定義し、人材育成(Off-JT・OJT)に落とし込んでいくのですが、これだと従業員が自分で考えるということには繋がりません。
ここで重要なのが従業員目線、所謂、従業員体験を意識した取組みが求められます。IBMでは従業員体験から「逆引き」で考えることを提唱しています。成果を生み出すために自分に足りない部分、ギャップをどう埋めていくかということを、自分のキャリア形成の中に埋め込んでいく。このように従業員体験から逆算し、仕事の粒度で人材要件に落とし込みます。そうすると、キャリアパス、ロールモデル、キャリア開発計画、さらにはマイクロクレデンシャルのように小さく学んで積み上げていくような取り組みが有効になります。
企業組織を一つの労働市場とした場合に、自分に何ができるかを第三者に理解されることも重要です。そのために必要なのが、誰が見てもわかる、スキルという共通のプロトコルです。スキルの活用において、IBM社内でもオープンバッジを発行し、流通させています。バッジのメタデータには、どのような能力を持っているのか、具体的に何ができるのか、能力のレベルはどのくらいか、どのような仕事に活かせるのか、関連するスキル・資格は何か、といった情報を持たせ、第三者に理解しやすいようにしています。こうした市場ニーズを意識したスキル獲得を促進するプラットフォームとしてYourLearningというグローバル共通の学び続ける仕掛けを用意しています。バッジの獲得状況などを通じて、獲得したスキルを見える化し、自身が学んだ全てのことを履歴として残すことで、仕事とのマッチングが有効化されます。実際に、仕事への斡旋メールが週次で届く仕組みになっています。学んで終わりではなく、学んだことを、仕事を通じて活かす機会を提供しています。スキル転換を促す取組みは、個々人のキャリア形成にも繋がり、人材の価値を高める取組みになると考えます。
YourLearningの導入で、学んだ時間が長い社員ほどエンゲージメントが高く、パフォーマンスも高いという成果が得られています。学びがキャリア形成に有効で、お客様の価値にも転換可能であることの証明になっていると考えています。学び続けることに関して、IBMでは、デジタルラーニングカルチャーという新しい「学習する組織」の醸成を重要視しています。「組織のミッションと目標に向けて、オープンな考え方、主体的な知識の探求、共有し合う学習体験を支援する」という学びを自身の価値を高める取組みとして、当たり前とする新しいカルチャーの醸成に挑戦しています。知的好奇心と学び続ける力が組み合わされば、エンプロイアビリティ―=雇用される能力になり、市場価値の向上に必ず繋がると考えています。
パネルディスカッション
「学びの多様化と質保証」
パネリスト(五十音順)
- 石田 秀樹 氏(日本アイ・ビー・エム株式会社 IBMコンサルティング事業本部 ビジネス・トランスフォーメーション・サービス事業部 パートナー)
- 井上 雅裕 氏(慶應義塾大学大学院 特任教授、芝浦工業大学 名誉教授、公益社団法人 日本工学教育協会 理事)
- 堀 真寿美 氏(大阪教育大学 特任教授、CCC-TIES附置研究所 主任研究員)
コーディネータ
野村 典文 氏(伊藤忠テクノソリューションズ株式会社、広島大学 特任教授、CAUA運営委員)
パネルディスカッションの前半は、オンラインで寄せられた参加者からの質問が多かった。マイクロクレデンシャルとオープンバッジについて、これらの仕組みを社会に普及させるためにはどうすればよいか、というテーマで討論が行われました。
大学教育に携わる各氏からは、「問題の一つは企業の社員教育の自前主義。企業と大学が一緒になって、個人の学修成果とコンピテンシーを明確に記述する共通のフレームワーク作りを行う必要がある」(井上氏)、「授業や研修における履修だけでなく、コミュニティでの活動などの経験も含めた形で、学びの概念を大きく変えなければならない」(堀氏)などの意見が出されました。
一方、企業の立場から石田氏は、「まずは企業が仕事の内容を誰でも理解できる言葉で定義することだ。それができれば、特にコミュニケーションやリーダーシップといった普遍的なスキルを身に付ける学習プログラムは、自前主義でなく他社や大学とも共有できるようになる」などと語り、企業の取り組み方次第でマイクロクレデンシャルやオープンバッジの認知が広がる可能性を示しました。
後半は、主体的な学びについて議論が進められました。「国際PBLにおいて異文化環境で分野横断の課題に取り組む学生を見ていると、自分の足りない部分に自分で気づき、その部分を埋めようと自ら努力し始める学生が多い」(井上氏)、「近所の年長者から昔話を聞かせてもらったことや仲間とサッカーをする時にどういった作戦を立てたらいいのかシミュレーションするのもこれからの学びになる。社会・コミュニティを含めた学びの多様化が主体性につながる」(堀氏)、「企業は従業員が受け身になってしまう今の研修のやり方は抜本的に見直しするべきである。企業側から一方的に押し付ける学習機会は、“自分ごと”には繋がらない。」「リスキリングが注目されていますが、否定的な意味合いを強く感じる“学び直し”ではなく、“学び増し”としてポジティブに捉え、一人ひとりが能動的に、自身にとっての“学び”を選択できる学習体系やどこでもエントリーできるプラットフォームを作ることがこれからの多様性を育む取り組みの一つになる」(石田氏)などのパネリストの発言に対し、会場の参加者とのインタラクティブな意見交換もあり、最後まで白熱した議論が展開されました。
クロージング
只木 進一 氏(佐賀大学 理工学部 教授、CAUA運営委員)