イベントレポート
少子化など大学を取り巻く環境が大きく変化するに従って、教育の質の向上を目的とした「大学IR(Institutional Research)」の必要性が取り沙汰され、新たにIR組織を設置する大学も増えています。「データを情報に変換し意思決定する」大学はまさに企業経営と同じことを求められており、データの重要性が認識されています。しかし一方で、予算措置がなくIRのベースとなるデータの収集と整理が不十分であり、ステークホルダーが複雑なためにうまく進まない現状が散見されます。
このような状況を打ち破るためにどこからどのように手をつけていくべきか、個々の事例を踏まえながらこれからの方向性を探ります。
- 開催日
- 2018年12月13日(木)
13:30~17:30
(情報交換会 17:45~19:15) - 会 場
- Innovation Space DEJIMA
- 主 催
- CAUA
講演内容
はじめに
後藤 滋樹 氏
(早稲田大学理工学術院教授、CAUA会長)
大学および企業の教育関係者を対象に、CAUA シンポジウム2018を開催しました。CAUAは、伊藤忠テクノソリューションズ株式会社(CTC)のアカデミックユーザー会を前身とした、大学と企業のコラボレーションを目的とする任意団体です。
今回のテーマは「日本の大学が生き残るためのITデータ利活用 ~大学経営に情報を活用する~」です。少子化など大学を取り巻く環境が大きく変化するに従って、教育の質の向上を目的とした「大学IR(Institutional Research)」の必要性に対する認識が高まり、新たにIR組織を設置する大学も増えています。「データを情報に変換し意思決定する」大学はまさに企業経営と同じことを求められており、データの重要性が認識されています。一方で、予算措置がなくIRのベースとなるデータの収集と整理が不十分であり、ステークホルダーが複雑なためにうまく進まない現状が散見されます。
このような状況を打ち破るためには、どこからどのように大学IRに取り組んでいくべきか。今回のシンポジウムでは、大学IRのこれからの方向性を探るため、大学IRの現状と課題、最新事例に関する講演とパネルディスカッションを行いました。会場となったCTCのイノベーションスペース「DEJIMA」には、約60名の教育関係者および産学連携・人材育成に携わる方々が集まりました。
IRとは、大学組織内の現状をデータに基づいて他大学と比較しながら分析し、大学の改善に活かす活動です。日本における大学IRは、教学IR、大学経営IR、研究IRの3つの分野で展開されてきました。本来、大学の教育や経営を改善するのであれば、大学自身が問題意識を持ってIR専門部署を設け、そこで問題を分析して大学改善に生かすというのがあるべき姿ですが、国の政策誘導によってIRが進められたことによって、残念ながらその本質的な目的を達成するに至っていません。
日本の大学IRは教学IRを中心に広がり、国から大学の教育情報の公開と学修成果の可視化が求められるようになりました。しかし、そこで公開する情報は、入学受入方針や入学者数、学修成果の評価の基準などの外形的な情報です。学修成果の可視化も、単位の取得情報や学位の取得状況、入学者選抜の状況など外形的な集計値がほとんどです。IRは、データを収集して、大学の経営改善や教育改善に生かすべき活動です。にもかかわらず、説明責任の観点が色濃く展開され、また実施する組織が大学の管理・運営側にあり、学部や研究科など教育実施側と距離がある場合が多い。本来の目的である学生の教育・学修支援と必ずしもつながっていないことが、日本の教学IRの最も大きな課題です。
大学経営IRも政策主導で広まってきました。国立大学法人の第3期中期目標・中期計画では、大学共同利用機関法人に対してIR機能の強化を求めており、同時期の国立大学経営力戦略ではIR体制の充実が必要とされています。これにより、国立大学の中期計画におけるIRへの言及は急増しました。私立大学等改革総合支援事業でも、重点項目の中にIR担当部署の設置および専任の教職員の配置が追加され、私立大学のIR担当部署設置校も増加しました。しかしながら、とりあえず組織は作ったけれど、大学IRの業務プロセスについては詳細に示されていないため担当者も何をやったらいいのかわからず、本来の大学経営の改善や大学戦略に結び付く分析にまで至っていません。
研究IRは、教学IRや大学経営IRほどには強い政策誘導はされていませんが、欧米の学術出版社のサービスを使い、職員が自ら大学の研究力を調査分析していない場合が多いです。研究IRは本来、自分たちの大学の研究ドメインを正しく把握し、外部連携や資源投入を通じて、大学の研究力の伸長につながるべきですが、学術出版社の提供するツールに依存し、出版社主導の研究評価軸に引きずられる傾向が見られることが大きな問題だと認識しています。
一方、IRの先進国である米国の状況はどうでしょうか。米国の実状も日本と似ているところがあって、連邦政府や州政府の要求に応えて情報公開や報告を行うというのも主な業務の一つになっているようです。しかし、情報公開や報告だけでなく、研究・計画・政策分析、財務分析、入学管理、学生調査などが連携して機能しているのが、米国のIRの特徴です。組織的にもIR担当部署が財務部門の中にあることが非常に多い。学生の奨学金や授業料のディスカウントがIRのデータに基づいて決められるなど、大学経営に直結しています。研究中心の大学であれば、給与分析や業務負荷分析をして、どうしたら他大学から優秀な教員を引き抜いてこられるか、そのためには教員の労働条件をどう設定すればいいのか、などの分析を行っています。
米国も日本も、今の大学経営の課題は、大学入学率が50%を超えた高等教育のユニバーサル化です。ますます多様化する学生をどう教育して卒業させるか。この本質的なところに、IRが対応していかなければなりません。大学の使命の第一は、学生の教育です。少なくとも米国では、授業料や卒業率、学びとキャリアという高等教育の最大の課題を解決することに、大学IRの中心が置かれています。日本では未だIR担当と大学執行部のスキルと経験が不足しており、データが事務のためになってしまっていて、分析機能がありません。大学の経営課題も明確になっていません。
日本の大学が厳しい時代を生き抜くために、IRの機能はこれからますます重要度を増します。米国はトップダウンでIRを行っていますが、日本の組織のよさは各事務部門がしっかりしているところです。それぞれがデータを持って事務を行い、その中の状況をよく知っています。学長のリーダーシップにあまりこだわらず、それぞれの部署で解決できるものに関しては、各部署の中でIR機能を持ってやっていくほうがいいです。厳しい時代を大学が生き残るために、大学の最重要課題を明確にし、それを実現するための組織体制やリソース配分を決めることが必要です。その際に、各部署のステークホルダーを調整し、データを集めて全学で解釈できるようにし、大学が目標達成できるように導くことが、IR担当の役割なのです。
特別講演
「データをマネジメントに活かすためには何が重要か
~高等教育やビジネスを取り巻く環境から組織文化を考える~」
福島 真司 氏
(大正大学 学長補佐EMIR研所長 地域創生学部 教授)
IRが大学のマネジメントに組み込まれる時代になりました。日本では平成20年の中教審答申で、公的な質保証と自主的な質保証の強化について言及されました。公的な質保証を担保するのは、アカウンタビリティのためのデータです。自主的な質保証を担保するのは、大学の価値創造と最大化のためのデータです。この両方をIRではしっかりやる。誰のために、何のために可視化するのか、今一度立ち返ることが求められていると思います。
アメリカのテキサス州立大学機構が運営するSeek UTでは、加盟する40以上の大学が様々なデータを公開しています。このシステムでは学生や卒業生の多種多様なデータを比較することができます。たとえば、卒業1年目、5年目、10年目の年収、さらには学生ローンの返還額をグラフ化し、複数の大学の複数の専攻で簡単に比較することもできます。アメリカでは授業料の高騰により、親の負担も学生のローン負担も非常に重くなっており、卒業後の収入は大学選びの重要な指標です。Seek UTでは、このようなデータも全部開示しています。
こうしたアメリカの話が、日本とは関係ないと言えない時代に入っています。学生や保護者の期待はどこにあるのか。日本の大学進学率は約54%までは右肩上がりでしたが、それ以降伸びていません。つまり、46%は大学4年間にお金を払う価値がないという判断をしているわけです。大学に何が求められているか、誰に対するアカウンタビリティが最も重要なのか、ということを真剣に考えた上でのデータ分析やIRでないと、全く意味がないということです。
そこで、私たちは独自にEMIR(Enroll Management Institutional Research)というものを推進しています。学生を入学前から卒業後まで一気通貫でマネージしていこうという考え方です。学費と期待に見合った学生生活が送れるかどうかという視点で学生を支援します。ある若者が大学に興味を持ってくれたら、入学前からマッチングを行い、合格通知を出せば志願して入学してくれて、十分満足した学生生活を送り、卒業時に自己実現してもらう。卒業後も大学との関係性を維持していく。入学前から亡くなるまで1人の人間と付き合っていこうじゃないか、というのがEMIRの概念です。
EMIRの役割は、データを共通言語とした議論とデータにモチベーションを喚起された議論を支援することです。IRの機能は意思決定の支援です。データ自体や分析結果は、未来の見通しや改善策までは提示しません。それを有効活用できるのは、大学をきちんと理解している教職員です。データを共通言語にして、関係者がものを言い、コミュニケーションが促進され、意思決定までの議論が活性化されると、良質なデータが良質な議論を促進し、向かうべき方向や改善策のベクトルが重なり始めます。
IRの本質的な役割は意思決定の支援です。アカウンタビリティのために数字を出すのも最低限必要ですが、意思決定という本質的な目的のためにデータを活用することが、IRの存在意義です。本質的な目的とは、建学の精神や教育理念の具現化であり、大学の責務である教育、研究、社会貢献です。教育の指針や手法は時代や環境により変化します。現在はアクティブラーニングや問題解決学習、反転授業などが取り入れられ、教育環境もデジタル化されてきました。一方で、学生の卒業後の社会は、それよりずっと先に急速なデジタル化が進んでいます。社会の変化は、教育の指針や手法にも関わってくるということに、大学側はもっと気付くべきです。
教育・研究による社会貢献も大きなテーマです。製造、農業、鉱業、建設、輸送業などは120年間で45倍も生産性が伸び、従事者は産業全体の20%まで減っています。こうした社会構造の変化を背景に、いかに持続的あるいは破壊的イノベーション人材を育成するか、いかに知識労働者とサービス労働者の生産性を上げるか、なども大学教育において取り組む課題です。社会貢献の表現方法も変化しています。阪神・淡路大震災と東日本大震災では、企業の表現方法は外形的なものから本質的なものへと変わりましたが、大学においてはボランティア参加人数など数字で表現する外形的な関わり方のままでした。社会貢献の指標として何がふさわしいのかということも、IRの中で真剣に考えなければならないと思います。
AIなどの技術革新もIRに影響を与えます。AIを導入する際には、CDO(Chief Digital Officer:最高デジタル責任者)の設置が基礎的要件になると思います。企業がテクノロジーを利用して事業の業績や対象範囲を根底から変化させるように、大学も最新技術を活用して何をすべきなのかを考えなければならない時期に来ています。法令に関してもポイントになります。EUで施行されたGDPRが世界的な潮流になりました。本質は、個人データの扱いが厳しくなったということではなく、サイバー上の行動だけで個人をプロファイルしてはいけないということです。手元にあるデータだけで、あなたの就職はこう、あなたの人間性はこう成長しました、などとやっても、学生はハッピーになりません。IRで何をどこまでやるべきなのか。新技術を受け入れるための覚悟や基礎的な要件を議論すべき時代に、すでに入っているのです。
本学では現在、情報基盤整備に取り組んでいます。まずは大学から始めて、大学の成功例をベースに中学・高校、専門学校に展開していく計画で進めており、今年度に大学の情報基盤の基本軸が完成しました。同時に、大学基幹システムの更新も計画が進んでいます。IRを見据えて、管理された中でフレキシブルに使える情報基盤を構築し、整合性のとれたデータが取れる環境を作るのが狙いです。今後は、この情報基盤とデータサイエンスを連携させ、IRの全面適用まで持っていく予定です。
本学でも2040年の大学像を描いています。私の専門のデータサイエンスの分野では、例えば特化した技術についての教育はオンラインで行うことをイメージしています。一方、大学のキャンパスでは、人間らしさとか、地域密着とか、クリエイティブな発想とか、こういったものを重視した授業を展開する。この2つのレイヤーでの教育を同時に動かす教育モデルを目指します。2040年には18歳人口が今の7割程度になると言われる状況の中で大学が生き残るには、こういった新しい教育環境を実現する必要があると感じています。すでに大学院においては、この新しいモデルを具現化する試みを開始しており、学部でもこのモデルを適用したデータサイエンス専攻の設置を計画しています。
では、IRを実現するために具体的にどうするか。意思決定はあくまで人によって行われます。この意思決定に寄与するデータ解析の実現を目指します。一方、実行は組織によって行われます。経験と意思、それにデータを組み合わせることで説得力を持ち、それを推進するのが組織です。IRを実行するには整合性のとれたデータが必要で、そのためには情報基盤と基幹システムの整備が必須です。また、オンライン教育を活用する教育環境や人材育成とIRの連携も必要になってきます。
そこで、実際の組織としては、情報戦略と情報基盤の両方を司る情報戦略推進本部の設置を提案して、IRを実行しようとしています。情報戦略と情報基盤が密接に関わる形でのIRです。アウトプットは人材育成です。解析データを活用して大学の将来像や戦略の立案を行い(P)、情報戦略を実施し(D)、それを調査・分析し(C)、外部評価へとつなげる(A)。このPDCAを回して、最終的なアウトプットである人材育成を充実させたいと考えています。
本学のIRの特徴はまず、学長の直下にIR室が設置されている組織体制にあります。IR室の役割は、学長あるいは理事の業務を支援することです。教員組織ではなく、教職協働による全学組織です。IRを経営基盤として位置づけ、機能させることを最優先で進めてきました。IR室会議は毎月開催し、必ず学長が出席します。
既存システムの活用というのも大きな特徴です。本学はIRのためのシステムを持ちません。財務、人事、教務などがそれぞれシステム化されていますし、教員の研究をはじめとした活動、評価、年度計画、進捗管理のためのシステムもありますので、データを流すための連携基盤と認証基盤を作ってIRで活用しています。必要なデータは各担当事務が持っていますので、新たなシステムを作ってデータを集めてくる必要はありませんし、分析して方針を立てることもしません。各理事が必要とするデータを効率よく渡すことが最大の役目になっています。
部局長会議に相当する毎月の大学運営連絡会でデータを共有します。この大学運営連絡会をはじめ、様々な場でデータに基づいて議論することが習慣になりました。大学運営連絡会で活用されている指標には、例えば学生異動があります。休学者や退学者の状況がモニターされていて、特に多い学部には詳しく調べるようにという指示がなされます。就職状況も、かつてはどのような進路を考えているかわからない学生がいたのですが、今はそれがなくなって全ての学生において進学するのか就職するのか把握するようになりました。
IRの実施効果としては、シラバスの入力率は2年間かけて100%になりました。教員が開講した科目とそれに対する授業評価を見て次の学期の方針を半年ごとに作成する授業点検・改善報告書も100%。教員活動データベースは当初の目標数値を超える94%まで達成しました。科研費申請率や前期と後期の入試の定員の割り振り、学生の質を維持する定員数などもデータを活用して実施してきました。
実施体制、実施状況、成果の質を捉える指標も立てています。まず制度や仕組みをチェックし、その制度や仕組みがちゃんと動いているかどうかを見て、成果を確認するという3段階でIRを管理しようという考え方です。したがって、年度計画等も、目標の達成状況や成果・効果だけでなく、規則や体制の整備状況、その規則や体制の稼働状況、計画の実施状況も指標として組み入れられています。
本学はこの6年間、IRに取り組んできましたが、事務を含め、データを確保して分析するという習慣ができ、教員組織にもかなり浸透してきました。必要に応じてデータを見て先手を打つようになっています。特に就職などは学生が卒業する前に早く手が打てるようになりました。教員一人ひとりに数値目標が設定されますので、やるべきことはやる、必ずやるという原則ができたことも大きな成果です。
パネルディスカッション
「日本の大学が生き残るためのITデータ利活用」
コーディネーター
小野 成志 氏(学校法人根津育英会武蔵学園 理事 経営企画室長、CAUA会計監事)
パネリスト(五十音順)
- 後藤 滋樹 氏(早稲田大学理工学術院 教授、CAUA会長)
- 只木 進一 氏(佐賀大学 理工学部 教授 評価室長、CAUA運営委員)
- 福島 真司 氏(大正大学 学長補佐EMIR研所長 地域創生学部 教授)
- 船守 美穂 氏(国立情報学研究所 情報社会相関研究系 准教授)
- 水野 信也 氏(静岡理工科大学 情報学部 教授)
- 横山 良治 氏(伊藤忠テクノソリューションズ株式会社 広域・社会インフラ事業G 顧問)
本フォーラムの締めくくりとして、講演者らによるパネルディスカッションが行われ、IRに関連する様々なテーマが議論されました。
小野氏の司会で開始され、福島氏によって「IRの管理者の課題」、「業務システムの課題」、「経営課題が不明確という課題」の3つの課題が新たに提示されたことを皮切りに、様々な意見交換がなされました。
水野氏からはシステム構築の観点で「IRの目的は意思決定に寄与することで、データはその意思決定のためのもの」という基本原則があらためて確認されました。また、IRへの取り組み方については只木氏から「大きいIRと小さいIR」の話があり、まずは小さいIRを確実に実行して足元のデータをモニターすることの大切さが強調され、横山氏からは「人材育成は社会的な課題」として、企業の立場から大学と連携してIRの推進をサポートする意義が語られました。
会場の参加者からは、IRにおける個人情報の取り扱いやシステム構築に関するポイントなど、実務に関する意見を求める質問が飛び出しました。それに対しパネリストから、「大学のシステムが実は企業以上に複雑であることを十分理解して取り組むべき」(後藤氏)、「どんなに情報基盤がしっかりしても完全なデータは得られない。意思決定はあくまでも人の仕事」(船守氏)など、IRを進める上での共通認識を促す意見が出され、約1時間におよぶディスカッションが終了しました。